母親を看取るということ
私と妻、両方の母親介護の為、1年ブログを休んでいた。
書く気がおきなくなったのが一番の理由だろう。
色々なことがあったし、キャンピングカーで出掛けたこともあったのだが、
何か気が乗らなかったのだ。
ようやく書く気持ちになったので書こうと思う。
実母を昨年10月に看取り、今年6月に義母を我が家で看取った。
共に満92歳で天寿を全うした。
私と妻、二人とも母親を送り、どちらも父親は先に亡くなっていたので二人共両親が居なくなってしまった。
実母は認知症を患い、介護保険施設で亡くなった。
最愛の夫(父)を68歳の時に亡くし、80代後半まで実家で一人暮らしをしていた。
自分の好きなように生きてきたので全く悔いはないだろうと思う。
大腿骨骨折で入院してから実家を引き払い、私の家で同居し、元気になってからは埼玉に居る兄の家と数ヶ月毎に気ままに行き来していた。
それが認知症が進んだせいで徘徊というか一人歩きが顕著になり、私の家での看護がメインとなり、その後いろいろな出来事があって介護施設に入ることになった。
1年7ヶ月位になるだろうか、徐々に弱っていったのだった。
最後の日の前の晩は危篤状態だということで私がベッドの側で一晩付き添い、次の日は兄と交代し、安心したのかその夜静かに息を引き取った。
不思議に全く涙は出なかった。
「ようやく天国に行けるね」
そんな感じだった。
本人も父が亡くなってからは
「早く、自分も行きたい。もう思い残すことはない。」
とずっと言っていたし、それから20年も生きた。
両親は仲が良かった。
このことは子供を育てる上で一番大事なことだと自分が親になって感じた。
その無言の教えは私に伝わり、確実に子供達にも伝わっていると思っている。
母は父を愛していた。
本当にそのことは分かる。父もそうだったんだろう。
だから、最愛の夫に会える所に行けるのは本人にとって幸せなんだと思えるのだ。
亡くなる1週間位前から
「母さん、もう少しの我慢だよ。もう少しで行けるからね。父さんが待ってるよ」
私はそう言っていた。
息をしていない顔を見ながら
「ご苦労様、良かったね。ようやく父さんに会えるよ」
私は言った。
強気で頑固、我儘な母だったが私を可愛がってくれた。
『ありがとう』
心の中でそう言った。
母は岩手医大に検体を夫が亡くなってから申し込んでいた。
お世話になった病院の役に立てればと。
その意志の通り、家族だけで簡単な葬儀を上げ、翌日岩手医大の車に乗って行った。
お骨になって戻ってくるまで3年掛かるそうだ。