娘の結婚式
6月、ジューンブライドで娘は結婚式を挙げた。
結婚式は娘の希望通り神前式で行われた。
仙台の伊達政宗公が400年前に築城した仙台城(青葉城)にある畏れ多くも護国神社での挙式であった。
神社なのでレッドカーペットとは言わないのだろうが厳かであり又厳粛な式にも関わらず、一般客もバチバチと写真を撮り、さながらハリウッドスターの雰囲気を味わったのである。

父親である私がすぐ後ろで歩きながらスマホで撮ったので指で影ができてしまっている。
これはしょうがない。
娘のお相手は誠実な男性である。二つ返事でOKを出した。
結婚式、披露宴での娘の幸せそうな顔をみると、本当に良かったという思いが涌き出てきた。
普通、娘の父親というのは結婚させたくないとかどんな相手でも許したくない、もしくは相手をぶん殴りたいという気持ちになるらしいが私は全くそんなことはなかった。
子離れが出来ていたというか、基本的に放任主義に近いかもしれない。
子は親の所有物ではないし子の自主性を重んじ、娘が幸せであればそれ以外は望まないというあっぱれな父親なのだと思う。
と、カッコいいことを書いたが引っ叩いたこともある。又、娘に対しての普段の接し方について妻に言わせると
「娘には甘いんだから~」と自分が思っていることと若干語弊もあるかもしれない。
娘が25〜6才の頃、彼女がいろいろ生き方に行き詰まった心境の時、普通の父親では言わないだろうという提案をした。
「気分転換でアメリカでも行ってきたら?」
「ええっ!?」
「但し、自分の貯金でね」
と、娘は驚いたがその提案が何故か心揺さぶるものだったらしく、その後まもなくサンタモニカに一人でホームステイで1ヶ月行って来たのだった。
「何故、そんなことを提案したんだ?」と自問自答すると簡単に分かった。
私が娘の年の頃だったら間違いなく
「自分が行きたかった」からなのだ。
娘は性格的に私に似てアクティブな所があるし、代わりに体験させたかったのだろう。経験は何事にも代えられない
貴重なことであるし、何らかのインパクトを与えてくれるはずだからだ。
いずれにしても私達夫婦は幸せものだとつくづく思う。
息子がいて娘がいて、無事二人とも自立してくれたから。「親」という役目を与えてくれたし沢山の想い出を作ってくれた。
「ほっとした」という思いと「安心した」という思いが入り混じった貴重な一日であった。
